続 ――痔―― その体験記
この文章は前回の記事の続きだ。もしあなたが前回の記事を未読なら、以下リンクを読んでから来ると良いだろう。
・痔の宣告
あなたは怪我や火傷などで発生する「痛み」のメカニズムについて知っているだろうか? 人間の全身に張り巡らされている神経内には「侵害受容器」という器官が存在する。そしてその器官が外傷や打撲により刺激されると痛みという情報になって脳に伝達され、あなたはイタっ! と悲鳴を上げる。これらの痛みは外因性の「侵害性疼痛」と呼ばれ、またその伝達速度は秒速10~20メートルと言われている。
そしてその日、私の侵害受容器の神経伝達速度は秒速100メートルを超えていた。
医者による手当て、尻にメスを入れるという冒涜的行為。これが医療行為でなかったら医者は地獄行き確定というほどの蛮行。痛みにより私の侵害受容器が受ける刺激は苛烈を極め、流れた涙は一級河川を形成するほどであった。
しかし、生き残った。痛みからの解放。輝かしい未来。私は完全復活し、その痛みとは二度と決別…………と思いきや、戦いは終わっていなかった。
「今のは応急措置だから。ちゃんと切開手術しないとまた痛むよ」
目の前の白衣の男が何か言っている。そして私の脳は理解を否定している。「また痛む」? その言葉がどれだけの絶望感を私にもたらしたかお分かりだろうか? ……また? …………痛む? ……あの苦しみが? …………もう一曲遊べるドン? ぶっ飛ばすぞ!!!
悪夢は終わっていなかった。医者の話によると、今日行った処置はあくまで応急処置、痔の原因を根本的に取り除かないと再度あの苦しみが襲ってくるらしい。そしてその手術のためには入院が必須だという。入院、手術。いつの間にか話が大きくなっていることに驚きと怖気を隠せない。
私は何か悪いことをしただろうか? 手術なんて大それたことは骨折などの大きな怪我や、長らく障害を放置して、早期治療を怠ったツケを清算するときにするものではないのか? 私は痛みを感じてから可及的速やかに病院に来たつもりだ。確かに日曜はとても痛んでいたが週末だったから仕方ない。月曜の朝から病院に赴いた私は十分に早期治療と言えるのではないか? そう思って医者に聞いてみた。
「私のコレは、早期治療じゃないんですか?」
「いえ、ほぼ最終形態です」
無慈悲な回答だった。なんだよ最終形態って。ラスボスか?
・入院 二人部屋
文句を言っていても始まらない。何はともあれ入院と手術だ。私は別の持病もあったためそちらの担当医の許可を得たりと、入院の準備を行った。入院中は暇な時間がとても長いと聞いていたため本を購入したり、Nintendo Switchでゼルダの伝説をダウンロードしたりしていた。こう聞くと長期旅行の準備みたいで楽しげだが、この間もいつ尻が痛み始めるかと戦々恐々としていたのは言うまでもない。
そしていざ入院当日。荷物を持ったトランクを持って病院へ。案内されたのは二人部屋の病室だった。どうやら同室の人間がいるようだ。私は考えた。同室…………病院とはいえここは肛門科、誰も望んで入院してる奴などいない。そう考えるとここの性質は牢獄に近く、つまり尻のプリズンと言える。マイケルにはスクレが居たが、私に宛がわれた同房の人間は一体どんな人間だろうか……? 緊張しつつも、病室に入る。
「キミが同室か! よろしく!」
そんなことを彼、吉沢という少し太った男は言った。恐らく50歳近い彼は貫禄を感じさせる体躯でにこやかに笑っている。私が挨拶を返すと、「私も痔ろう手術だよ! キミも若いのに大変だねぇ!」とこちらを思いやる言葉をかけてくれた。どうやら悪い人ではないらしい。一安心して荷物の整理をした。
しかし悲劇は夜に起こった。入院初日ということで、簡単な診察を受ける程度のスケジュールを終え、夜9時には消灯された院内でベッドに横になる。9時と些か早い時間ではあるが、もう寝てしまおうと目を閉じると、聞こえてきたのである。その音が。
グォォオオオオオ! ッグォォォオオオオ!
可哀そうなぞうさんの断末魔ではない、吉沢のイビキだ。重機の駆動音を思わせる音の奔流が、ベッドを仕切るカーテンの向こう側から聞こえてくる。高音質な迫力のある重低音サウンドと書けばスピーカーの広告のようだが、実際には迷惑の剛速球だ。無視できるレベルの音量ではない。そして彼の入院はあと6日だと言っていたことを思い出す……。身体が震える。震えている間にもイビキ音が鳴りやむことはない。これあと一週間近くも? レベル1の拷問か?
尻が治る前に頭がおかしくなりそうだが、私はウォークマンを持ってきていたことを思い出し、イヤホンをつけてヒプノシスマイクを流した。するとまあギリギリイビキが気にならない程度には騒音を抑えることに成功。あのときほどヒプマイに助けられたと思ったことはない。寂雷先生は、確かに私を助けてくれた。
・院内の暇つぶし
入院というものは、暇との闘いである。私は手術入院だが、10日間ほどあった入院日数の内、実際手術を行うのは1日で、他日は体温検査や簡単な診察ほどしかやることがない。つまり一日のうち大多数の時間は暇で、その時間をどう過ごすかということが大きな課題となる。私は持ってきた小説もあらかた読み終わってしまい、スイッチのゼルダの伝説も少し飽きてしまったころ、病室の下の階に貸出本棚があるという情報を耳にし、出向いてみた。
階段を下りて件の本棚を探すと、ソファがいくつか置かれたホールの隅に小さな本棚が鎮座していた。ソファには爺さんや婆さんが何人か座って世間話をしており、私は少し居心地の悪さを感じながらもそそくさと本棚の前に移動した。
しかし、せっかく来たものの私はあまり期待していなかった。大体にしてこういった病院の本棚にはある程度年配の方を読者と想定したラインナップであり、それでなければキッズ向けの絵本などがあるイメージがある。院内では若者の私が楽しめるようなモノがあるとは思っていなかったし、病院内にあるということを考えるとそこまで刺激的な蔵書はないだろう。そう思って本棚の一番上の段を見ると
めちゃめちゃアグレッシヴだった。がっつり人死にが出るジャンプ漫画がしっかり全巻揃っていた。
・そして手術のとき
そのときがやってきた。読んでいたデスノートではLの捜査をかく乱するためにミサとライトが監禁されたところだった。手術のときが来たのだ。そう、痔ろうの切開開放手術だ。ここでひとつおさらいしておく、私の痔はいわゆるメジャーな「切れ痔」や「いぼ痔」ではなく「痔ろう」という種類のもので、直腸と肛門周囲の皮膚を繋ぐトンネルのようなものが発生してしまう痔である。といってもやや想像しずらいのだが、皮膚の表面よりも内部に発生する痔と思ってもらえば良い。通常、この痔は薬での治療は不可能で、完治には手術が必要だ。
しかし切開開放術という得体の知れない手術ではあったが、私は前回ほど恐怖していなかった。なんといっても今回の手術は前回の応急処置とは違って麻酔有りなのだ。だが手術も人間のやること、完全に恐怖はゼロと言っても嘘になる。手術前の飲み食いは最低限と言われたのにも関わらず、もしかしたら”最期”かもしれないと思い、私はマイソウルドリンクであるコーラをこっそりと飲んだ。
手術の前にまず手術着に着替えることになる。ペラペラで薄い生地の服で、手術中にはお尻の部分の布だけ切り取られることになる。そして病室のベッドごと手術室の中に運ばれる。お尻部分だけ丸出しでベッドに寝たまま運ばれるのはなかなか新鮮で、なんだか出荷される牛の気分に近いものがあった。
手術台に寝かされ点滴を打たれ、麻酔を背中から注射されると身体の感覚がどんどん抜けていく。月並みな表現だが、首から下が無くなってしまったかのようだった。そして尻にメスが入る。意識はあるため何かが私の尻に触っている感覚はあるのだが、痛みは全く感じない。淡々と手術が進行していく。医者達が私の血圧を読み上げる声が聞こえるのがとても臨場感があった。
つつがなく手術が終わった。再度ベッドに寝かされ、病室に戻される。「意識はあるが身体は動かせない」という状態が不思議な感覚で、まるで長時間金縛りにあっているかのようだった。その後、看護師に「個人差はありますけど、2~3時間で身体の感覚は戻りますからね。今日はもう動けるようになっても歩いたりせず眠っちゃってください」と言われ手術は終わった。幕が下りてみれば案外あっさりしたもので、時間にしてみればものの30~40分ほどで手術の一連は終わってしまった。痛みは無かったし、とりあえず根本治療が終わって一安心だ……。
そして2時間ほどぼーっとしてしていると、徐々に上半身の感覚が戻ってきた。まだ腰から下は動かないが、腕が動かせるようになった。麻酔特有の暖かいジーンとした感触が消え、少しづつ回復しているのがわかる。しかし、それは急に襲ってきた。いや、それは襲ってきたというよりも、「そこにあったものに"今"気付けるようになった」という方が正確だろう。そう、それはそこにあった。
尿意が。
小便。お小水。OSIKKO。とにかくトイレに行きたくなってきたのである。手術後は動くなと言われていたこともあり、事前に尿瓶は渡されていた。あなたは尿瓶を知っているか? 早い話がおしっこをするために口が広くなったビンだ。手術後の患者を動き回らせないため、トイレではなくそれにしろということである。その尿瓶がベッドのサイドテーブルに置いてある。置いてあるが、手が届かないのだ! 完全にコーラがアダとなっている!
想像して欲しい。ベッドに寝ている。そして尿意が確かな存在感を持ってそこにある。尿瓶はベッドの左サイドテーブル、距離は1mと離れていないが足はおろか腰も動かない。動かなければサイドテーブルに近づくことができない。腕を伸ばしても指先は悲しく空を切る。その間にも尿意はこみ上がっていく。脳裏にダム決壊の映像がフラッシュバックする。遅れて気づく、肩から上しか動かない状況、たとえ尿瓶に手が届いたとしてもそれを使うことができない。足が、せめて腰が動かないことには事態の解決は無いのだ。
「動け! 動けよ! 動いてくれよッ!」
脳内で叫ぶ。ほとんどエヴァに乗ったシンジくんだ。初号機のコントロールレバーに拳を叩きつけるシンジくんが如く、自分の腰を叱咤する。「今動かなきゃ、何にもならないんだ!」 だが腰は動かない。高まる尿意。張り詰めた膀胱。上半身だけでジタバタするも、アンビリカルケーブル(点滴)が揺れるだけだ。ダムは決壊寸前、もうダメなのか……? と諦めかけ天を仰いだそのとき、
頭上に何かあることに気づく。ナースコールだ! もはや背に腹は代えられない。ナースコールを連打し、看護師を呼ぶ。彼女らが辿り着くまでの時間、耐えらるかという危惧はあったが、耐えがたきを耐え、なんとか間に合った。そうして介護をしてもらいながら用を足し、私はなんとか危機を脱した。あなたがもし痔で入院するなら、手術前にはコーラは飲むな。これは私からの忠告である。介護されながら用を足すのは、まあまあ(婉曲表現)恥ずかしかった。
・退院
その後はきちんと麻酔を抜け、比較的平穏に日々が過ぎた。便器に腰掛け用を足した後に血がガッツリ出ていてビビったりもしたが、それも数日すれば収まり無事退院となった。病院のドアから出ると、むせ返るような熱気と刺すような日差しを浴びたことを強く覚えている。八月上旬、天気は快晴、うるさいほどの蝉の声の中、私は肛門科病院と「Ⅲ型痔ろう」に別れを告げた。駅までの道のりを歩きながら、痔と共に過ごした日々を思い出す。貴重な経験ではあったが、できるなら人生において経験したくなかった日々でもあった。
痔は再発しやすい病気だと医者は言っていた。再発を防ぐには、日々のケアと肛門に異常がないかの注意が必要だという。もしこれを読んでいるあなたが尻に異常を感じているのならば、悪い事は言わない、尻を軽んじずにすぐに病院に行け。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというが、あなたは後者であるべきだ。
そして最後に、私からこの言葉を贈ろう。
尻の声を聞け…………。Listen to your ass's voice........
(――痔―― その体験記 終)