――痔―― その体験記

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 『ハリーポッター』に、「まね妖怪」という魔法生物が登場する。原語ではボガードと呼ばれる妖怪で、暗くて狭い場所を好み、近くにいる人間の最も怖いものに化けるため、本当の姿は誰も知らないという設定だ。ハリー達はこれを利用してディメンターと呼ばれる敵を仮想的に作り出し、魔法戦闘の訓練を行っていた。

 しかし、その「まね妖怪」が私の前に出現したらどうなってしまうのか? あらゆるものの中から当人の最も怖いものに化ける妖怪が私の前に現れたとしたら……?
 その姿はアレになるだろう……………………痔に。


 今日は痔の話をする。そう、人間の尻に発生する疾患のひとつだ。私は医者ほどではないが痔に詳しい。それは何故か? ワニの恐ろしさを知る者は、ワニに噛まれた事のある者だけと同じように、私も痔に噛まれたことがあるからだ。今日は私が痔を発症してから入院して手術するまでの体験を、伝えようと思う。なお、初めに断っておくがこれは一年ほど前の体験だ。

 

・悪夢、その前兆

 

 何事にも予兆というものはある。痔も例外ではない。私の場合、それは筋肉痛から始まった。最初に始まったのは忘れもしない、2019年7月1日、月曜日のことだ。その日の私はVRのゴーグルをかぶってやるボクシングゲームをプレイしており、仮想世界でムカつく顔のボクサーを殴ったり殴られたりしていた。ゲームは買ったその日が一番楽しい。思ったより熱中してしまい、その日はシャワーをして眠った。

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 そして翌日、襲ってきたのは極度の筋肉痛だ。普段の運動不足が祟ったか、身体のあちこちが痛い。階段を登るだけで下半身が悲鳴を上げる。だがしかし、筋肉痛がするということはある程度しっかりとした運動になったということ、もともとVRゲームでの運動不足解消を目論んでいたこともあり、その痛みはなんだかんだ楽しんでいた気がする。今思えば、愚かと言う他ないのだが……。

 

 7月4日、木曜日になってやっと気づく。「筋肉痛がとれないな」と。正確には筋肉痛は引いているのだが、腰回り、主に臀部だけがまだ痛い。私の頭上にハテナマークが浮かぶが、その時はまだ自分の身に何が起きているのか気づいていない。しかし、それも無理のないことだ。あなたも想定してほしい。今までの人生で関わったこともない、親兄弟にも発生したことのない痔という疾患に、すぐさま類推が及ぶだろうか? 筋肉痛というカモフラージュを纏った尻の悲鳴に、あなたは正しく耳を貸すことができただろうか? ……私にはできなかった。

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△これは当時の私の日記である。まだ必死さがない。

・発症 苦痛の潮流

 そして週末だ。土曜日から自宅に数人の友人達が遊びに来ており、色んなボードゲームで一緒に遊んでいた。昼、まだ私は冷静でいられた。ふとした際に尻に刺激が与えられるとズキズキとした痛みが走るが、まあまだ耐えられるレベルだ。

 

 しかし、さすがにもうこれは筋肉痛では無いという判断が下せるほどには痛みの波が来ており、何か対処をしなければならない。
 そのため、夜に薬局に向かった。
 店員に「尻が痛い」という話をする。
「痔だと……思われます」
 男性の店員がやたら丁寧に言ったのが印象的だった。私は「そうか……」とショックを受けずにはいられなかった。痔。臀部の疾患。認めたくはないが現在進行形で尻の悲鳴が響いている。私は勧められるがままに尻に塗る薬を購入し、塗布してから眠った。これでよくなるだろうと、その時は思っていた。

 

 翌日、友人達が家に泊まったため、日曜日も彼らは遊んでいた。そう、「彼らは」だ。私はどうしていたかって? 痛みに伏せていたのだ! 布団の上でうずくまり、メソメソとするしかない。薬を塗ったはずの尻は全く回復せず、どころか痛みは加速度的に強くなっていく! 体感的には尻の中で誰かが太鼓の達人をやっており「カッ」を連打しているかのようだ! 友人達は心配してくれるものの、それで痛みが引くわけではない。熱も出る。日曜日なので病院もやってない。完全に四面楚歌だ! この日の記憶はもうあまりない…………かろうじて覚えていることは、七夕だなと盛り上がる友人に差し出された短冊に、震える手で「痔、治れ」と書いたことだけだ。

 

 そして夜がきた。心配してくれながらも友人達が帰宅し、家にひとりになった。まだ痛みは加速していく。もはや立って歩くだけでも激痛が走る状況。発熱もある。パソコンの前に座るのも辛かったため、なんとかDiscord(音声通話アプリ)だけ起動し、友人に近くの肛門科のある病院を調べてもらった。窮地の友こそ真の友という言葉もある。この時の友人には改めて感謝を言いたい。そして調べてもらったページだけブックマークし、神に祈るような気持ちでうつ伏せになっていた。ここでひとつのTipsだが、激しい痔になると仰向けなどにはなれない。もちろん、尻に負荷がかかるからだ。うつ伏せ一択だ。あなたの友人がうつ伏せになっていたら、それは痔にもだえ苦しんでいるのかも知れない。この日は丸一日、這って移動した。

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・病院、手当

 月曜日の朝、痛みの増加に限界などなかった。苦痛に顔面は歪み、太鼓の達人は難易度「おに」になっている。トイレに行きたくないため食事もとっていない。空腹・発熱・尻に激痛という状況でタクシーを呼び、肛門科のある病院へ。もはや揺れる車内でおとなしく座席に腰掛けることなどできず、運転手に断ってから後部座席でもうつ伏せになっていた。

 

 そして病院にたどり着き、永遠とも思える待ち時間を終え、医者に診てもらう。じゃあお尻見せてもらえますかの声に、待ってましたとばかりにズボンを脱ぐ。もはや恥じらいなどという領域(レベル)の話はとうに終わっている。ここからは命のやり取りだ。医者は一目見て「うわーヒドイね」などと言う。そんなことわかっとるわ!!!と叫びだしたくなるのを我慢する。「もうこれから切っちゃおう」と医者が言う。どうやら、膿が溜まっていて痛みを引き起こしているらしく、それを排除してしまえばだいぶ楽になるとのこと。「やってくれ!」と致命傷を負い死亡寸前の兵士が仲間に銃殺を頼むかのごとくお願いし、そのまま手術室へ。

 

 手術室に入る。医者の説明によると、私の痔は「痔ろう」という種類らしく、痔の中でも数パーセントほどの割合でしか発生しないⅢ型痔ろうというレアなタイプ。こんなところでSSRを引いても嬉しくともなんともないが、このタイプの痔は市販の薬ではどうにもならないらしい。道理で……と昨夜の苦しみを思い出しながら手術室で待つ。

 

 まず看護師のおばさんが入ってきた。私はうつ伏せで手術台に。おばさんが準備しながら「年いくつ?」だの「どこ住んでるの?」なんて話しかけてくるが、もはや私は痛みで目に見えるもの全てが憎い状況。「へえーウチの息子と同じくらいだ」などとおばさんは言っているが、私は「そっすか」と返すのが精いっぱい。手術室にはリラクゼーション効果のありそうな音楽が流れており、ふとおばさんは「何か聞きたい音楽ある? あればかけるけど」などと聞いてきたがテンパった私は「…………B'z」と午後のラジオみたいなリクエスト、さらに「B'zはなかったわ(笑)」と言われるBAD COMMUNICATION。そしておばさんは、手術の前にお尻綺麗にしますねー等といって私の尻に手を

 

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 この世の人間の怒り・悲しみ・あらゆる負の感情がひとつになったかのような激痛。
 艱難辛苦の濃縮還元。修羅・畜生・餓鬼に続く地獄。
 おばさんの手が私の尻を凌辱していく。(掃除と消毒)
「殺すぞババア! 息子も殺す!」処置がもう1秒長かったらそう口から出ていたのは間違いない。

 

 そして掃除が終わった。一息つこうとするも……手術室の奥からさっきの医者(男)が姿を現す。そして彼の手には……銀色に輝くメス! 施術が始まっ

 

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 泣いた。声を上げて泣いた。誇張などではない。私は大人だが「あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!」みたいな声を上げたし涙も出た。麻酔など無い。尻の表面に冷たいメスが当たる感覚。今思い出しても寒気がする。「もうすぐ終わりますからねー」みたいなことを言う医者に、「もうすぐっていつだ!? おい!!! てめえのもうすぐはこんなに長いってのか!??」とキレて問い詰めたい気持ちが脳内に駆ける。しかし人間、怒りは持続しない。最後の方は「もうやめて……許して……」と生娘のように許しを乞う面持ちだった……。

 

 そして……施術が終わった。私はメソメソとしながら手術台に伏せている。二日連続のメソメソ。医者はさっさと出て行った。おばさんが「出した膿、見る?」などとサイコパスみたいなことを聞いてくるが、「……ぃぃ」と幼女のように返事することしかできない。尻にガーゼを当てられ、「回復室」というメソメソ状態の奴を転がしておく場所へ移動した。そこで待てと言われ、横になりながら私はどうして生きているのか、生命の意味とはという哲学的な問について考えていた。

 

・回復 そして……

 

 そしてしばらくして、気付く。尻の痛みが引いている。太鼓の達人はいなくなり、出血している感覚はあるものの痛みはほとんどない。「助かった……」思わずつぶやく。痛みが消えた。世界が私を祝福しているかのようだった。目に見えている光景が輝きだした。看護師が戻ってきた。手術中は刺し違える予定だったおばさんだが、今は白衣の天使に見える。丁重にお礼を言い、再度診察室へ。

 

 医者が戻る。彼ほどの名医にかかれて私は運が良かった。再度お礼を言い、もう帰るだけだと私が思っていると、医者は口を開いた。

「本手術の日程を決めましょう」

「は?」

「今のは応急措置だから。ちゃんと切開手術しないとまた痛むよ」

 

 

悪夢はまだ終わっていなかった。

 

次回、真夏の大手術編へ続く。

 

 2020/06/17 追記 後編

caesarcola.hatenablog.com