50週連続で4コマ漫画を描いた。

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 「日本最古の漫画」と言われる「鳥獣戯画」をご存知だろうか? そう、歴史の教科書とかで見た事があるだろう。茶色い紙にカエルとウサギが描かれているアレだ。

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カエルとウサギの相撲。楽しそう。



 そして、最初に鳥獣戯画を見た・知ったときにこう思ったのは私だけではないだろう。

 「なぜカエルとウサギ?」

 カエルとウサギ。この二体が選ばれた理由は何だろうか? そもそも、何故人間ではなく動物なのか? 作者も不明のこの作品は、どういう意図で書かれたのか? その理由は長く厚い歴史の幕が覆い隠しているが、私には自分なりの答えがある。

「それがユーモアだったから」

 でっぷりした腹のカエルが横綱力士に見えたのだろう。対してウサギはその跳躍能力から鳥でもないのに「1羽」と数えられるほどのナチュラル・アスリートで、カエルの対戦相手にはぴったりだ。その二匹が相撲を取る…………。そんな昼下がりに見る夢みたいな想像を、実際に紙に描いてみたのが「鳥獣戯画」なのだ。

 カエルとウサギじゃ生息域も身体のサイズも違うが、フィクションという魔法の中でそんなことは問題ではない。重要なのは面白さだ。そして「カエルとウサギが相撲をとる」というユーモアはウケた。いや、実際に当時ウケていたのかは知らないが、現代までその存在が伝わっているということは、一定の存在感を放っていたということなのだろう。

 そしてもう一点重要なのは、この日本最古の漫画と言われている「鳥獣戯画」はユーモアで描かれ、読んだヒトを「笑わせる」ことを目的にしていたということだ。そう、つまりギャグでありコメディ、喜劇でありファルスだ。一番最初に生まれた「漫画」という創作物の目的が「笑わせる」ということに、私は敬意を払うと共に勇気づけられている。

 

 さて、というわけで今日は4コマ漫画の話をする。それも、私自身が描いた4コマ漫画の話だ。私は4コマ漫画を50週連続で描いた。つまり4×50で200コマということだ。そんな算数に意味は無いが、200コマを通して見えてきたものもある。今日はその話をする。

 

目次


・4コマ漫画を描いた。辛く苦しくはない。


 私は趣味で毎週水曜日の正午に4コマ漫画をツイッターに投稿している。その名も「ハイパーエンターテイメンツ4コマ」というものだ。名前は長いがこれ以上縮めることのできない洗練されたものなのでそこは諦めてもらうしかない。内容はギャグ漫画だ。週ごとの話に関連性はなく、どこからでも読むことのできるものになっている。

 しかしこんな御託はどうでもいい。漫画を紹介するときは実物を見せるのが最も効率的だ。そうする。今気になって調べたが「御託(ごたく)を並べる」というときの「御託」というのは「御宣託(ごせんたく)」という言葉の略語であり、意味は「神のお告げ」、そしてそれを冷ややかに見た言葉らしい。神を恐れぬ不遜な言葉だ…………。いや、話を戻そう。漫画の紹介だ。

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 上記のような漫画を50週描いた。内容の是非はあなたに任せるが、もしもう少し読んで判断したいというのなら、ツイッターで「#ハイパーエンターテイメンツ4コマ」とハッシュタグ検索することで他の作品を読むことができる。

 

 

 

 さて、それではこれらを50週連続で描いた感想だが、率直なものとしては「苦しい瞬間もあったが、楽しいと感じるときの方が多い」というものだ。簡単に言えば「やってよかった」というつまらないものだが、もう少し詳しく説明する。

 そもそも漫画を描くきっかけがどういうものなのかというのは、承認欲求の話になり手垢のついたトピックであるため今回は割愛する。重要なのは描いていてどうだったかということだ。分かりやすくするため、苦しさと楽しさを箇条書きにする。

苦しさ
・何も思いつかない。
・自分のユーモアが伝わっているか不安になる。
・自分の「面白い」が他人には「面白い」ではなく愕然とする。

楽しさ
・内容を思い付いたときの全能感
・ユーモアが伝わった(笑わせることができた)ときの嬉しさ
・私がまだ知らない「面白さ」があることに気づけた。

 ざっくりだが以上だ。聡明なあなたは気づいただろう。苦しさと楽しさはほとんど裏返しなのだ。例として苦しさのひとつ、「何も思いつかない」だが、4コマの内容は自分で考えているため、出てこないときは本当に何も出てこない。それはもう正確に表現するなら、「全く、絶対、完全に、まるっきり、徹底的に、綺麗さっぱり、これっぽっちも、完膚なきまで、神に誓って、何も思いつかない」というものであり、自分のアイデアの泉というものが無限ではないということを思い知らされる。

 ヒドイときは何も思いつかないストレスから奇行に及び、意味もなく部屋を歩き回ったり、奇声をあげて布団や枕にローキックをしたりしてしまう。ほとんど人里に降りてきた熊と同じような知能しかないので、だいぶ人間の尊厳を失っているといえるだろう。

 しかし、ひとたび何かネタを思い付けばそれは過去のことだ。私は熊から神になる。自分は天才でユーモアの申し子で歴史に名を遺す偉人であり、漫画の神様・手塚治虫が出てきても「オサムは最近どう?」くらいのノリで接するだろう。それくらい増長しており、それはもう楽しいものである。

 その面白さが他人に伝わらなかったときの絶望感は、ゴルゴ13ジョン・ウィックとロバート・マッコールに同時に銃口を突き付けられるのと同じくらいのものだが、逆に伝わったときの嬉しさはチャンピオンでありビッグ・サクセスでありパーフェクトヒューマンであることも間違いない。

 それらの苦しさと楽しさを比較したときに、私は楽しさの方が大きいとジャッジした。それが誰に金を貰っているわけでもないのに50週描くことができた理由だろう。

 

・コミュニティ 感謝の念


 次に言っておくべきことは感謝だ。

 4コマ漫画をインターネットに公開していると、読んでくれる人間が少なからず居る。そしてツイッターの機能を用いて反応してくれる人間や、自分の解釈を発信してくれる人もおり、私は彼らに感謝している。それらは心の励み…………プシュケーの燃料、ユーモアの輪転機を回すためのガソリンになっており、私に力を与えている。なのでここらで一度、礼を言っておく。いつもありがとう。これからもよろしくね。

 そしてその彼らの中には謎のコミュニティが発生しているものもある。まず、毎週私の4コマ読んでリツイート機能を用いてシェアしてくれるだけでなく、「毎週水曜日更新のハイパーエンターテインメンツ4コマを見ろ。」と強い肯定をしてくれている人間もいる。

 

 「毎週水曜日更新のハイパーエンターテイ "ン" メンツ4コマを見ろ。」とタイトルを微妙に間違えている事実はあるが、それでも嬉しいことに違いはない。

 そして面白いのはここからである。私の4コマはその性質上、水曜日の時報という役割も果たしているのだが、上記のツイートから派生して二次コミュニティが発生している。とういのも、

「毎週水曜日更新のハイパーエンターテインメンツ4コマを見ろ。」を見た。という観測報告ツイートまで発生しているのだ。

 どういうことか? 私が4コマを投稿する。→読んだ人間が「4コマを見ろ」と言う。→「『4コマを見ろ』を見た」と報告する。という連鎖が発生しているのだ。なんだこれは? 何のネットワークだ? 宗教の始まりか? やや不思議であるが、まあ、面白いのでよしとする。

 


・ラインスタンプを作った

 

 需要があると判断したので、私はハイパーエンターテイメンツ4コマのラインスタンプを作成した。使うのには金を払う必要があるが、制作物に金を払うというのは誇り高い行為なのであなたが欲しいと思ったのなら自信をもって金を払うべきだ。

store.line.me

 


・終わりに(4コマは続くが)

 

 私の4コマ漫画は「スゴイもの」ではないという見方もあるだろう。創造主である私はその価値の高さを疑ってはいないが、それが世界に認められるようになるために必要なのは「継続」だ。なのでこれからも4コマを描いていく。あなたの水曜日に少しでも隙間があり、その隙間に私の4コマを入れてくてるのであればこれ以上の喜びはない。

 

 さて、私はもう行かなければならない。それはもちろん次の4コマの内容を考えるためだが、今日ばかりは少しの休息を取りピザでも食べようかと思った。しかし、炭火焼ビーフを食べ終わったらまた進む。布団を蹴って、奇声をあげて、4コマを描いていく。それまで火が絶えなければという前提もあるが、次に語るのはPART100のときだろう。それでは、さらばだ。